研究ニュース
テキサス大学での在外研究生活
平成 8年10月〜平成9年7月 文部省在外研究員 テキサス大学(10ヶ月)
鹿児島大学工学部情報工学科 助教授 佐 藤 公 則
1996年10月1日夕方6時に成田を発ち,グラスを経由し,同日夕方6時15分無事テキス州の州都オースチンに到着した。飛行機から見たオースチンの第一印象は,「抜けるような青空と緑が多いなあ」というものであった。タクシーで滞在型ホテルに直行した。いよいよ10ケ月間の研究生活が始まろうとしていた。期待と不安が入り混じった気持ちであった。このホテルに1週間滞在し,その間,生活基盤を確立するわけだが,苦労話は後述する。
10月2日早速受け入れ機関であるUT(The University of Texas at Austin:テキサス大学)に行って,Aggarwal教授,秘書,そして,研究室の人と挨拶を交わした。その場で,ワークステーションのアカウント(kimi)を発行してもらい,とりあえず,鹿児島大学に元気に到着した旨の電子メールを出した。
オースチンと言えば,その象徴ともいえる州議事堂は,アメリカでも有数の規模で,多くの観光客は必ず見学に来ているようだ。また緯度は,種子島とほぼ同じ
で,暑いが乾燥しているため過ごしやすい。テキサス大学は,アメリカでも学生数が多いことで有名であり,そのキャンパスはとても広い。10ケ月間という短期間ではとてもキャンパス全部を把握することはできなかった。キャンパスの象徴であるUTタワーは,青空にそびえ立つ。その姿は,オースチンのあらゆる場所から見えた。まさにオースチンは,大学都市である。学生に対する優遇を,あらゆるところに感じた。学生たちも多様である。1995年のデータでは,留学生で一番多いのは,中国,インド,台湾,韓国の順で,日本からの留学生は,第8番目であった。受け入れ機関は,テキサス大学の中のComputer and
Vision Research Center(通称CVRC)であった。このセンター内の学生も多くは,筆者を含め東洋系出身であった。
CVRCでは,コンピュータ設備等は普通だったが,過去の画像処理に関する研究成果やノウハウが充実していた。Aggarwal教授は,この研究分野では,多くの業績があり,指導者として適任であった。画像処理システムの設備が充実しており,恵まれた環境で研究を行なうことができた。
筆者のテーマは,人物顔の部分画像データを用い,個人認識可能なアルゴリズムと個人認識システムの開発であった。日本における研究成果をAggarwal教授に報告したところ,2つの課題を受けた。1つは,多人数登録の場合は,どのような結果になるか? 2つ目は,バックプロパゲーション学習則の代わりに,Radial Basis
Function networks(ラジアル基底関数)を用いた場合,どのような結果になるか?というものであった。
テキサス大学での研究において,部分画像(目,鼻,耳など)は,インターネットを介しftpで,研究機関に転送した。IPアドレスを一つもらい,日本から持参したコンピュータをインターネットに接続して利用した。このコンピュータのおかげで,日本語メールも使えるようになった。
多人数登録実験は,最大100人登録までの追実験を行なった。この結果,認識率99%以上,未登録者の認識拒否率は,100%という結果が得られた。新しいニューラルネットは,Radial Basis
Function(RBF) networksである。この実験を行なう前に,RBF networksの勉強と,RBFを用いた個人認識システムの構築に多くの時間を割いた。実験プログラムは,MATLABのmコードを用い作成した。構築したシステムでは,ニューラルネットワークの学習と認識判定が瞬時に行なえるようになり,理想的なシステムとなった。耳画像を用いた実験では,認識率100%,未登録者の認識拒否率100%という完全な結果を得ることができた。それに対し,鼻,目,正面顔全体画像を入力とした場合,認識率100%,未登録者の認識拒否率100%という結果を得ることができなかった。100人登録まで良好な結果を得た。
コンピュータのこと,MATLABのことなどは,ドクターコースの学生からいろいろ教えてもらった。Aggarwal教授は,きさくな教授で,しばしばランチパーティを開いてくれた。残念ながら,夜に飲むということはなかった。CVRCでは,週1度のセミナーを開催し,学生たちは途中経過を報告し、教授のアドバイスを受けていた。日本の研究との大きな違いは,CVRCでは,Militaryから多くのグランドをもらっていた。そのため,赤外線イメージなどから戦車を認識し特定する(Automatic Target
Recognition)ような研究が活発に行なわれていた。日本では,テーマにならないようなものである。
さて,研究以外のことである。先にも述べたが渡米後1週間で,生活を確立する必要があった。まずは,アパート探し,銀行口座の開設,ID取得,生活雑貨及び車の購入などである。幸運なことに,奥様が日本人であるというご夫妻を紹介していただき,あらゆる事をお手伝いいただいた。アパートは,家賃$789/monthで,家具はレンタルにし,ダブルペット,ソファー,ダイニングセットなど,計17種類のアイテムを借りることにした。アパートを出る時には,売り払う必要がなくそのまま引き取って貰えるからだ。中古車も購入。アメリカ社会では,車は必須条件だ。車が無いとなにもできないに等しい。テキサス州のドライバーライセンスも取得した。このように生活基盤が,1週間で確立できたのは,幸運だった。地元の人の手助けがなければ,ここまで順調にいかなかったと感謝している。
渡米3日日に事件が起きた。次女(当時3歳)がベットから落ち,タイルの床に強く頭をうった。大泣きはしたが,コブができなかった。案の定3時間後,吐気を訴えた。頭を強打して内出血でもと,心配になり,あわててタクシーを呼び,緊急病院へ行った。タクシーの中で,さらに2回激しく吐いたので,ますます不安になった。病院について,いろいろな手続きに時間がかかったが,最終的にCTスキャンを用いた診断を受けた。その間も次女は,ぐったり寝たり起きたり。CTの結果を聞くまでは,落ち着かず,不安だったが,最終結果は,問題なし。内出血なし。頭蓋骨も異常なし。ということで,大事には至らなかった。時差ボケによる眠気もあったようだ。いま振り返れば,渡米早々の大きな試練だったと思う。
双子の子供たちは幼稚園(pre−kindergarten)に通わせた。幼稚園というより,保育園である。アメリカでは,公立の幼稚園(4歳児)がなく,みな私立か個人経営だった。幼椎園の初日。泣き叫ぶ2人に構わず,どんどん私たち親は,幼椎園を去ったわけだが,残された2人はその後,みんなと打ちとけて遊んだようだ。3日間で幼稚園に慣れ,泣かずに登園してくれた。英語も単語ではあるが,多く話すようになり多くの友達もつくった。
テキサス州といえば州都のオースチンより,ダラスやヒューストンが有名である。どちらも車で,3時間以上かかる。ヒューストンには,NASAがある。ミッションコントロールセンターを見学し,非常に感動したものである。ダラスはさすがに大都市で,魅力的なビルディングが立ち並んでいた。
なお,テキサス大学での在外研究生活に関するwebページは
http://aki3pc.web.fc2.com/twinphot-inf/texas.html (写真1)
http://aki3pc.web.fc2.com/twinphot-inf/texas2.html (写真2)
http://aki3pc.web.fc2.com/twinphot-inf/texas3.html (写真3)
http://aki3pc.web.fc2.com/twinphot-inf/tx/memo.txt
(オースチン奮闘日記)
http://www.ics.kagoshima-u.ac.jp/~kimi/study.html (研究内容)
最後に,このような有意義な機会を与えくださった関係者各位及び不在中ご迷惑をおかけした皆様に対して,深く感謝致します。 1998年1月20日発行
鹿児島大学 学報第434号
オースチンダウンタウン
UTタワー